最近、Nさん(60代女性)から良い本を教えていただきました。
『濃厚医療で苦しまない大往生』(中村仁一・石飛幸三他/マキノ出版ムック)
Nさん自身も、かかりつけ医の先生からすすめられたそうです。
死、病、治療といった重い問題についてわかりやすく書いてあり、医師や作家からの提言、一般の方の体験談など、どれもが読み応えのある内容です。
中でも、不必要な治療をせずに死を迎える「自然死」についての論考には、ハッとさせられます。
自然死は、けっしてつらく苦しいものではなく、穏やかで幸福感に満たされたものだというのです。
わざわざ不必要な治療を施す(これを「濃厚医療」といっているわけですが)から、患者は痛み、苦しむことになる。濃厚医療は穏やかな死をじゃますることにほかならない、と。
<自然死の本体は“餓死”です。死が迫っているのに、まだ水分や栄養を与えるのは、せっかくの穏やかな死をじゃますることになります。
酸素吸入や点滴注射も、本人には苦痛でしかありません。「できる限り手を尽くす」は、「できるだけ苦しめる」と、ほぼ同義といってもよいでしょう。
(中略)「看取る」とは、何もせず「見とる」だけ。残される者ではなく、死にゆく本人にとっての最善を考え、死ぬべきときにきちんと死なせてあげることが、“真の家族愛”というものです>(本書28頁より)
実際に最期のときを迎えようとする家族を前にして、これほどすっきりと考えられるかどうかわかりません。私自身、昨年、母を闘病の末亡くしましたのでよくわかります。病院とのつき合い方や治療のあり方について、あらためて考えさせられました。
その母の里は、島根県の山間部にあります。ここに行くたびに、“自然な”生き方、死に方を考えずにはおれません。時の流れが違うのです。日本人が長らくもっていたであろう“自然な”生き死にを感じます。
結局は、「死生観」の問題になってくるのでしょう。人が病院で死ぬことが当たり前になったのは、ほんのここ数十年足らずのこと。それが本当に良いことなのかどうか。
すでに迎えつつある超高齢化社会にあって、「死生観」は重要なテーマとなってきます。本書もそこに一石を投じるものです。
自分自身の「死生観」にも新たな光を与えてくれ、読んで良かったと思える一冊でした。
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