脱力ウォークのすすめ(23)大谷武一著『正常歩』をよむ

脱力ウォークのすすめ(23)大谷武一『正常歩』をよむ

『正常歩』(昭和16年発行)は大正から昭和にかけて活躍した体育研究者・大谷武一の代表的著作です。その内容が私が提唱する「脱力ウォーク」そのものだったので、大変驚きました。再評価されるべき名著です。要点を引用しながらご紹介します。

大谷武一とは

はじめに、著者・大谷武一先生について。

Wikipediaにはこうあります。

大谷 武一(おおたに ぶいち、1887年〈明治20年〉5月14日 – 1966年〈昭和41年〉1月29日)は、大正から昭和期の日本の学校体育指導者。ラジオ体操の考案者の1人。ソフトボール競技、ハンドボール競技を日本へと紹介。また、それまで「デッドボール」と呼ばれていた競技を「ドッジボール」に改名、主に学校体育において普及に努めた。ウェイトリフティング競技の普及にも寄与した。日本体育指導者連盟元会長。東京教育大学体育学部初代学部総長。兵庫県加西市出身。

Wikipediaより

これを見ただけでも、日本の体育教育に大きく貢献した方だとわかりますね。

何よりも「ラジオ体操の考案者の1人」というところに惹かれます。

私は常々「ラジオ体操は世界最強のエクササイズ」と言っていますので、あのラジオ体操の原型をつくった方というだけで大尊敬です。

ちなみに最初にラジオ体操ができたのは1928(昭和3)年のことです

『正常歩』について

この大谷先生が、昭和16年54歳の年に出されたのが『正常歩』です。(いまの私と同じ歳!)

世の中が太平洋戦争に突入していく頃ですから、「一億一心」「挙国一致」「国難突破」といった時代を反映する言葉もあるのですが、歩行に関する考察は現代にも十分通用するものばかり、というよりも、いまこそ見直されるべき提言で満ちています。

私は今回はじめて読んで、その身体運動に対する洞察の深さに驚嘆しました。

そして、手前味噌ですが、まるで自分が書いたのかと思うほど「脱力ウォーク」そのものなので、大変嬉しくなりました。

80年も前に同じことを言ってた人がいるじゃないか、と。

では、大谷先生がいう「正常歩」とはどんなものなのか、見ていきましょう。

「正常歩」とはどういう歩き方か

本書での歩行に関する考察は幅広く、歩くことの必要性や特徴、訓練法、団体訓練など、多岐に及びますが、ここでは、第四章の「四、正しい歩き方(正常歩)」から読んでみたいと思います。

二つの条件

まず、「正しい歩き方」の条件を二つ挙げています。(赤強調は私)

正しい歩き方として要求される第一の条件は、その歩き方が、精力最有効使用の法則に従って行われていることであり、第二の条件は、それが、立派な姿勢、正しい歩態で行われているということである。

『正常歩』27頁

読みにくい旧仮名遣いは現代のものに替えています(以下同じ)

  1. 精力最有効使用の法則
  2. 立派な姿勢

この二つが「正しい歩き方」の条件だといいます。

「精力最有効使用の法則」とは、要するに体力を効率よく使った疲れにくい歩きということでしょう。

正しい姿勢

姿勢についてはこうあります。

頭を真直に起し、顔を正面に向けて前方に眼をつける。かように頭を起し、視線を真直にすると、上体の姿勢は自ら正しくなるものである。

『正常歩』28頁

脱力

そして、「脚の動作」についてこういいます。

脚の動作としては、できるだけ脚の運びを軽快にする。足が地床に着いていて、それで体重を支えている間は、もちろんその力を抜くわけにはいかないが、そのかわり足が地面から離れた瞬間に、その脚の力を抜く。而してこのいわゆる振動脚が、ごく自然的に前方へ振れて、軽く前へ移されるように、一歩々々にできるだけ無駄な力を使わないようにし、軽い歩取りで歩く。

『正常歩』28-29頁

大谷先生は、立っている脚を「支持脚」、浮いている脚を「振動脚」としています。

ここで言われていることは、まさに私が「脱力ウォーク」シリーズで書いてきたことです。

特に「足が地面から離れた瞬間に、その脚の力を抜く」という点は、「脱力ウォーク」の要といえる大事なところです。

それを私は登山から学んだのですが、大谷先生も登山経験があったのでしょうか。

膝の伸びと歩幅

膝の伸びと歩幅についても、興味深い考察をされています。

足が地面に着く際に膝が真直に伸びているのが良いのか、それとも多少屈がっているのが正しいのであるかという点であるが、それは、この際故意に伸ばしたり、極端に屈がっていたりすることはいずれも正常歩としては良くない事である(中略)振動脚の力が十分抜かれており、そのためにそれが前方へ振れて地面に着く直前に膝が軽く伸びている。伸ばすのでなく自然的に軽く伸びているという状態が良いのである。その理由は、この際膝が屈がっているよりも伸びている方が、一歩々々の歩幅がそれだけ広くなるからである。もっともこれも強いて伸ばしたのでは、他面一歩々々に要する精力の消費量をそれだけ多くすることになるために、それだけ速く疲労する結果になるから、この場合決して故意に伸ばすのではなく、脱力の結果軽く伸びるという程度が良いのである。

『正常歩』29-30頁

注目したいのは、脱力の結果、振動脚の膝が自然に伸び、歩幅が広がる、ということです。

私も「歩幅は広げるのではなく、広がるのが理想」と考えています。

第五章「五、正常歩の訓練」のなかには、こうあります。

段々練習を経た者の歩長は、修練の少い者の歩長よりも、一層伸びて来るものである。それは、脚筋の脱力が一層十分に出来るために、着地直前の膝の伸びが、一層良いという事実に起因する。

『正常歩』43頁

踵着地の是非

「踵から着地する」という点にも、次のような言及があります。

踵から先に着くのであるか、足尖から先に着くのであるか、それとも足裏全体が平に着くのであるかという問題であるが、それは(中略)踵から先に着くのである。(中略)足首の緊張を解いた上、しかも歩幅を相当に広げる関係から、自然的に、まづ踵の部分から地床に着いて、その後足裏全体が着き、最後に足尖から離床することになるのである。

『正常歩』30-31頁

これも、「五、正常歩の訓練」のなかでこう述べています。

正常歩では、踵が最初地床に触れることになるのは事実であるが、それだからといって、もし正常歩の訓練にあたって、「踵から先に地床につけるのだ」と説明したとすると、結局その動作が拡大されて、これが正常歩そのものから離れてしまう結果になるのである。(中略)踵からつけると説明されると、今度は当然意識的に着けることになるわけだが、かくなると、動作が既に真実性を失う結果になるのである。

『正常歩』40-41頁

本などで「踵から着地する」と書いてあるのをみて、それをことさら意識する人がたくさんおられます。

しかし、大谷先生も指摘しているように、そこにとらわれると、「動作が真実性を失う」、つまりぎくしゃくした不自然な歩きになってしまうのです。

実際には、足はほぼフラットで入っていって、ほんの一瞬踵が早く着地するだけです。

私は、「踵から着地」を意識するよりも、極端に言えば「足の存在を忘れる」くらいリラックスして歩くことが大切だと考えます。

臂(ひじ)の動作

腕の振りも、脱力を基本としています。

臂は脚の運びに連れて軽く前後に振れることになるが、(中略)この際必要なことは、臂のどの部分にも力を加えないで、十分脱力されていることである。

『正常歩』31頁

さらに、次のような言葉もあります。

要するに、正常歩においては、上体は真直に、姿勢は正しく保持されていて、しかも体はどの部分をも凝らさないで、びのびとゆったりした態度をもって、軽快な足取りで、さっさと歩くことになる。

『正常歩』32頁

ここまで「脱力」を重視した歩き方の指導は、はじめて見ました!

歩行時の心持

これはすこし番外編になりますが、「歩行時の心持」についてもおもしろいことを書いておられます。

歩く際には、常に心を下腹部に収め、落着いた気持で歩くことが大切である。(中略)この心を落着けて歩くということと、軽快な足取りで歩くということとの間に、一見矛盾があるように考えられぬでもないが、この二つは決して相容れない性質のものではなく、まさに一体となるべきものである。

『正常歩』32-33頁

そして、「きょろきょろと傍見をしたり、そはそはと落着かぬ格好で」歩くことを戒めています。

まとめ

ほかにも挙げればきりがないくらい、脱力すること、自然な歩きを心掛けることを、くり返し強調しておられます。

私は、読む前は、時代が時代だけにもっと軍隊調の堅苦しい歩き方を提唱されたのかと思っていました。

しかし、実際は逆で、むしろ当時はびこっていたそのような堅い歩き方の指導を戒め、本来の歩行を取り戻そうとして書かれたように思えます。

そこには、大谷先生の身体動作に対する深い理解があったことは、本書を読めばよくわかります。

勝手ながら、私の「脱力ウォーク」もなんだかお墨付きをいただいたような気持ちになっています。

『正常歩』は、いまこそ再評価されるべき名著です。

最後に、特に好きな言葉を引用して締めたいと思います。

気分は、いつも明朗で闊達であるを要する。

『正常歩』37頁

※『正常歩』は、「国立国会図書館デジタルコレクション」から読むことができます。

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